病室で一緒になった品のいいオバサマは、ひどく取り乱していた。寝耳に水の病名に「怖くてしかたがない」と言う。たぶん、私も山を始める前だったら、同じ反応だっただろう。もちろん、母が同じ病に2度も冒されながら、今いきいきと人生を楽しんでいるのを見ているおかげでもあるが。「がん」という病気が必要以上に恐ろしいものだというイメージの術中にはまって、みんな振り回されているように思う。「死ぬかもしれない」ということはそんなに恐ろしいことではない。だって人が死ぬのは当たり前なのだから。
私の身体にはがん細胞が育ってしまった。本来なら、傷ついたがん細胞は淘汰される運命にあったのに、何らかの理由で免疫機構をすり抜けてしまった。「その理由を取り除くことにエネルギーを使わなくてどうするの?」とオバサマに言ってあげたかった。最善を尽くしてもダメなら、その遺伝子は淘汰される運命にあったのだ。無理に生かすことは、弱い遺伝子を残すことを意味する。それは大げさに言えば、種絶滅への道。自分もそのルールの中にいる。
そんなふうに思えるようになったのは、たぶんヒマラヤを知ってからだ。もう少し言うと、初めての8000m峰アタックの時に感じた「ある感覚」を知ってからのような気がする。それは学術界では「フロー」*4と呼ばれていた。
そのとき私は、頂へと向かって、唯一つの明確な目標に自分のすべてを集中できる幸福を味わっていた。どうしようもなく生きていた。それはまさに、ほかならぬ自分の意志によって進む道を選んでいる、という実感の連続だった。
そんなことも後から意味づけたことで、実際に登っている間は、必死に生きようとすること、それ以外に何も考えていない。すると「私」がなくなる。普段は自我や感情など余計なものに苦しめられているが、そこから解放されるのだ。無私になる瞬間、私はからっぽだ。
時間がゆっくりと流れ始める。一瞬が永遠に感じられる。5感が鋭敏になり、周囲の情報がどんどん入ってくる。死のリスクが身近に迫っていることで、集中力が異常に高まるための脳の作用かもしれない。でも、時間がたつと、その「からっぽ」は、なにものにも代え難いもののように思えてくるのだ。
「からっぽ」の経験は、私の世界を変化させた。自然の事象に立ち会わせてもらえる奇跡に感謝した。そのときの気持ちを日常に持ち帰って、噛みしめながら生きられるようになった。生きることが愛おしくなった。人によっては、日常の中に「からっぽ」を見つけられる人もいるかも知れない(それは私にとって達人の域だ)。
たまたま私は山だった。山を知るまでは、ほうっておいても入ってくる情報が、私の情報のすべてだった。それが、ひとつのことに興味が集中すると、いろんな情報が入ってくるようになり、いろんな世界が見えてきた。多様な世界を知ると、寛容な気持ちになる。多様な価値観を知ると、均質化された世界をアンバランスに感じ始める。地球には、もっともっといろんなものが山ほどあって、バランスよく成り立っているのだ。今、私はその中の小さな小さな一部なのだということを実感し始めている。
|