大久保由美子のメール新聞〜カナダからの手紙 vol.10

5月9日〜16日
各セクションのフィールドは、いつも前日の準備デーまでわからない。でも今回は、「ここだったらいいな」と思っていたところだ。 アルバータ州のジャスパー国立公園とバンフ国立公園、そしてブリティッシュ・コロンビア州に300km以上にもかけてまたがるコロンビア大氷原という、北極圏を除けば北半球最大の氷原。

アイスフィールド・パークウェイに隣接するキャンプ場をベースにしたため、残念ながらその上に眠ることは叶わなかったし、全体的に天気も悪かったのでその広がりをのぞむことは出来なかったが、そのぶんイマジネーションを楽しむ。

ここから流れ出す無数の川は、北は北極海、東は大西洋、西は太平洋に注ぎ込み、まさに大陸大分水嶺。その平均標高は3,000mで、厚さは最大で365mにもなる。最高峰のコロンビア山(3,747m)を始め、ロッキーの1,100フィート(3,353m)以上の山30座のうち、実に13座もこの氷原に集中しているという。

今回の氷河登山セクションの目的は、氷河地帯の歩き方、クレバスレスキューを中心に、滑落停止や様々な雪上確保の仕方、雪混じりの岩場を通過する際のロープワークなど、雪山の基本技術の習得と、アイスフィールド・パークウェイから見える印象的な山、アサバスカ(3,470m)登山である。

その日は、まだ夜の明けない3時30分に標高約2,000mの麓を出発し、6時間で全員が風雪で何も見えぬ頂上に立つ。クレバス対を迂回し、懸垂氷河や大きなベルクシュルンド(山肌と雪斜面の亀裂)の下を通り抜け、山の肩に出たあとは一路稜線を伝う。ノーマルルートは優しいながらも変化に富んでおり、頂上に何か目印があるわけでもない。周りで一番高そうなナイフリッジにもたれかかり、みんなの顔がほころんでいる。

コロンビア大氷原から流れ出すいくつもの氷河の一つ、アサバスカ氷河は、この山の西側に道路に向かってまっすぐ伸びており、その末端まで観光用のスノーコーチが入っている。この氷河は、幅約1km、長さ5.3km、標高差は600mで、途中3段のアイスフォールがあり、上のアイスフォールの厚さは100m、下は300mにも及ぶ。ここは1年に125mの速さで氷が流れ落ちているが、平坦なところで年間15mと、アサバスカ的jかんはゆっくりと流れる。コロンビア大氷原の端からこの氷河の先端まで氷が移動するのに150年もかかるという。

アサバスカ登山とは別の日に、ここで氷河地帯の歩き方、アイスフォール地帯の通過の仕方を学んだが、その中は激しくうねる大海原の時を止めたかのように、青く光るセラックが屹立していて、北緯52度の世界はとても神秘的だ。

クレバスが露出しているアイスフォール帯より、実は平坦な部分の方が危険で、一見何もないように見える大氷原の下には無数のヒドンクレバス隠されている。一歩一歩足を踏み出す前に、必ずピッケルを刺して確認しても、大きなもので深さ30mもあるクレバスに落ちる可能性はあり、数人でロープを結び合って安全を確保する。氷河は年に1〜3m後退しており、このまま地球温暖化が進めばいつかなくなってしまうかもしれない。

ところで、皆さんは“危険”は百害あって一利無しだと思いますか?
何を好きこのんでわざわざ危険なところへ、とお思いでしょうね。

ある夜、私は自分のうめき声で目が覚めました。雷に打たれる夢を見たのです。以前、雪崩にのまれる夢を見たときもそうでしたが、それは周りから見たら一瞬のはずなのに、危機がまっすぐ自分に向かってきていることを自覚し、ある思考が駆けめぐります。

自分が死ぬことの無念さや、恐怖感はまったくなく、ただその瞬間、まもなく受けるであろう衝撃に対する心構えと、
「誰にでも訪れる死を、もっと常に覚悟しておくべきだった」
という気持ちがよぎるのです。

それは、
「自分は良いけれど、身近な、残されてしまう大切な人にもっと言葉を尽くしておくべきだった」
という気持ちです。

亡くなった写真家の星野道夫氏の言葉に、
「どれだけ長い時間を一つの土地で過ごそうと、まだ全ては見ていないという、心の白地図だけはいつまでも持ち続けていたい」
というのがあります。土地を人や山と置き換えることもできます。

こんな夢を見る度に、私は身近な人ほど一期一会の気持ちを忘れてはならないし、自分のことが好きになる生き方をしたいと痛切に思うのです。そういった意味では、身近に“危険”を感じていた方が、周りに優しくなれる謙虚な気持ちが生まれるのかもしれません。でも、決して好きこのんで危険に向かっているのではないのですよ。ただ山が好きなだけなのです。

アイスフィールド・パークウェイのすぐ側で、ブラックベアが地面の何かを噛んでいました。数台の車が見物しているにもかかわらず、人に慣れたクマは一向に逃げようとせず、一心に何かをむさぼっています。見物人の中には、車を降りて写真を撮っている人までいます。この場合、危険はクマにあるようです。

カヌーセクションで川の水を飲んでいたクマは、私たちのカヌーが近づく前に、走って森の中へ逃げていきました。この場合、危険は人間にあるようです。いつだったか、サファリパークで車を降りた人々が、孫の前で猛獣に襲われた惨事を思い出しました。
危険は一見どこにあるかわかりませんが、感じなくなっただけで、どこにでもあるような気がします。