大久保由美子のメール新聞〜カナダからの手紙 vol.2

3月7日PM4:00、これからの3ヶ月間、私たちのホームベースとなるカナダアルパインクラブのクラブハウスに全員集合。ここはキャンモアの町から歩いて45分程離れた静かな森の中。各セクションが終わるごとに骨を休めに帰ってくる場所だ。とはいっても、狭い部屋に2段ベッドが打ち付けられた、男女混合の学生寮みたいなもので、思った通りプライベートはないに等しい。それでも共同生活をしたことのなかった私にとっては以外にも何もかもが新鮮に感じる。 

私たちのグループは全部で11人。うち女性は24〜30歳(もちろん私)の4人。男性は27歳になったばかりの日本人「ヒデ」を筆頭に、下は18歳までの7人。平均年齢が24歳に満たない前途のある若者たちばかりなのだ。

今日はミーティングのみだが、ネイティブスピーカー同士の英語がまるっきりわからずガクゼンとする。出発前の2ヶ月間、英会話の個人レッスンを受け、
「まぁなんとかなるだろう」
とタカをくくっていたが、相手が自分に合わせてくれて初めて会話が成り立っていたことに今更ながら気がつく。

ここでは当然英語ができることが条件で、日本人2人のためにゆっくり説明するわけにもいかず、何度も聞き直してはヒンシュクを買うのはいたしかたない。さて、3ヶ月後にどれだけ理解できるようになっていることやら?

ところで、この山岳技術講習3ヶ月コースのお値段は約70万円。プライベートで来れば、30万もあれば3ヶ月充分暮らせることを考えれば高いといえる。しかし、今後自分達でExpeditionを組んだり、単独で行動していくためには、ここですべてのおさらい、特に日本にはない氷河技術、救助技術や雪崩の知識などを集中して学んでおくことは意義深いと考えた。

さらに、将来外国人とも組めるように英語のスキルアップも目的だと思えば、この支出は今の私にとっては必要と判断。身体と脳ミソをスポンジのようにして、できるだけ多くを吸収し、いつか若い人に教えるときにも役立てたいものだ。

3月8〜15日 アイスクライミングセクション

車でキャンモアからバンフ、レイクルイーズを通り過ぎ、その名もIcefields Parkwayを北上したところにある国営のユースホステル「Rampart Creek Hostel」に移動。このセクションのインストラクターは、ニュージーランドから来たガイド歴20年の「ポール」、エベレストやK2のサミッターで、こちらではかなり有名人の「バリー」、それに28歳のハンサムなガイド「デイブ」の3人。

この8日間の行動パターンは、まさに「食う寝る遊ぶ」。
   7時 起床。 朝食、ランチ作り
   8時 バンで目的地へ出発
   9時〜16時 アイスクライミング
   18時 夕食
   22時 就寝
といった具合。この規則正しさでみるみる身体のセンサー機能が蘇ってくるのがわかる。毎日いいお天気が続き、氷上からは雪を被った3000m峰の山々の眺めがすばらしい。お目当てのアイスフォール(凍った滝)も、めったに車の通らない国道から歩いてすぐのところに豊富に散在し、登っていると野生の「Big Horn Seep」が横切ったりして、まったく贅沢な環境なのだ。

トレーニングの場所はその日によって異なり、2人のインストラクターがそれぞれ2人ずつ、マルチピッチクライミング(長いルートの登攀)に連れ出し、残り7人はゲレンデで基礎をみっちり教え込まれる。レベルに多少バラつきはあるが、みんな若いので覚えるのが早い。最終日には初体験の者でも、3級程度のリード(先行登攀)をこなせるようになった。

1日の楽しみ食事は、用意されている材料を2人の当番が調理する。たいてい朝はシリアル、昼はサンドイッチ、夜はパスタやタコス、ライスなどの主食に豆やトマトのソースをかけた類など。けっこう手の込んだものを作らされる。時々「ん?」というものもあったが(チキンライスをソフトタコスで巻くとか)、基本的に運動の後はなんでもおいしい。

ホステルにシャワーはないが、薪ストーブのサウナがあり、ストーブの上に乗せられた焼けた石に、小川で汲んだ水をかけては、ジュージューと蒸気を楽しむ。最後にストーブで沸かしたお湯で汗を流すと、もうほっかほか。周りに人家の灯はなく、星が降るように見える。夜空に青く光る柱、ノーザンライツ(オーロラ)が、またたく間に現れては消える日もあり、初めてみる神秘的な現象に息をのむ。