大久保由美子のメール新聞〜カナダからの手紙 vol.3

3月16日、待ちに待った最初のオフ。朝のひんやりした空気の中、みんなでハイキングトレイルのような裏道を使って45分で歩いてダウンタウンに降りて行く。すぐそばの木の枝をリスが伝い、キャンモアの町のシンボル山、The three sisters(その名のとおり、2000m台後半の3つの連なる岩峰。ちなみに私も3姉妹で、妙に親しみを感じます)が、今日も鮮やかなモルゲンロートを見せる。

以前、この辺の山は横縞模様があるといったが、その正体は約100万年前、第4氷河期の頃、氷河が高所から谷を削りながら低地へゆっくり移動していった爪痕。ということは、今私たちが住んでいる町は、かつてはギシギシとゆっくり動く氷河の底だったのだと思うと不思議な気持ちになる。カナディアンロッキーは山岳の一生で言えばまだ青春時代だそうで、思いを巡らすとしばし悠久の時の流れに浸れる。

本日の目からウロコは、カフェで食べたステーキサンドイッチ。もうこれは落涙もの!ガーリックブレッドの上に柔らかくジューシーな味の良い牛肉がどーんとのっており、サイドのポテトフライ、マッシュルームソテー、ミックスサラダとのバランスは絶妙。これで600円くらい。カナダにおいしいものなしと言っていたのは誰?私たちのフードコーディネーター、マリッサがいつも準備してくれる食材&レシピも最高なのだが、今日はつい贅沢をしてしまった。

ところで、ドミトリーではいつも若者がインターFMでかかっているような最新の洋楽CDをガンガンかけている。何度も言うようだが、まったく若返る。しかし、つい部屋に戻ってピアノやクラシックが聴きたくなってしまうのは年のせいか。だいたい“若者”と言うこと自体、年の証拠だ。

3月17日 スキーツアー準備デー

3月18日 スキーツアー日帰り山行

今回のインストラクターは、前回のセクションに引き続きポール、ドイツ人のようなひげ男スティーブ、リスのような(26歳だが、もうスキー歴20年の)かわいいデイン。私も20歳台前半はゲレンデスキーに凝ったものだが、山スキーは初めて。違いは、斜面を登るとき、ビンディングのかかとが外れるようになっていて、板の裏に“スキン”という起毛化繊をはりつけるのだ。これでいともたやすく坂道を登れてしまう。

また、こちらのバーナーはMSRというホワイトガソリンを燃料とするものが主流。日本ではLPガスを燃料とするものが主流なので、これも初体験。火をつけるのに多少手間はかかるが、なかなか火力が強く慣れると便利。その他、ビーコン(雪崩に埋まったとき、電波を発信して居場所を知らせるもの)、プローブ(雪に突き刺して、埋没者を探す3mくらいの棒)、テントや地図の使い方のレッスンを受けた。ちなみに、こちらではビーコン、スコップは一人一つが常識。

3月19日〜23日 マウントアッシニボイン州立公園へテントスキー山行(片道22km)

たかだか車で30分くらいで、まるで別世界。マウントアッシニボインは、カナダのマッターホルンと呼ばれる秀麗な鋭鋒。最近、マイルドセブンのポスターで知名度の上がったネパールのアマダブラムをも思わせる。標高は3,610m。前々回、懸垂氷河はないと申しましたが、3000m峰にはありましたです・・・。

思えば、ゲレンデスキーヤーだった頃、ゲレンデでは飽きたらず、滑走禁止の新雪地域に入り込んだものだった。今、堂々と大自然の中のパウダースノーの世界へ・・・。が、スキー自体4年ぶりの上に、重い荷を背負って滑るのが慣れないせいか、うまく板の真ん中に体重が乗せられず、何度も転びまくり、雪まみれ。おまけに足の裏はマメだらけ。

自作サンドイッチを頬張っていると、アッという間に野生の小鳥達が寄ってきて慰めてくれる。でも、こちらではエサをやるのは禁止。野生動物の自活力を守るためだ。スキーのうまさの順位は、アイスクライミングと全く逆になってしまった。カナダっ子はクライミングは苦手でも、スキーはみんな子供の頃から慣れ親しんでいるのだ。

また、こちらではそろそろクマの目覚めのシーズン。食べ物はおろか、歯磨き粉や石けんなどの匂いのキツイものはすべてキャンプサイトに設置された倉庫にしまったり、木に吊さなければならない。

それにしても、トイレのない針葉樹林帯の中を縦横無尽に歩き回り、滑り降りられる山スキーって、やっぱりすごい!スキーよ、エラい!今回の習得項目は、ナビゲーション&ルートファインディング技術、雪の中のキャンプの生活技術、テントパートナー&グループメンバーのマネジメント技術、ブリスター(マメ)の予防と手当など。しかも無数のマメと膝の痛みというおみやげつきでした。