大久保由美子のメール新聞〜カナダからの手紙 vol.8

山岳コースに何故カヌーがあるのか不思議に思われることだろう。私もこのコースの存在を知ったとき、長期のアウトドアリーダー養成コースはよくあるが、純粋な山岳技術コースはなかなか見つからなかったので、
「おー、どれもやりたかったものばかりではないか!」
と感動した。が、スケジュールをよく見ると、
「ん!? カヌー? 1,2,3・・・15日も!?」
と驚き、ちょっと“引いた”。

スタッフの難波氏に理由を尋ねると、
「3ヶ月間、山やスキーばかり続けると、膝などの故障を起こす人が多いのです。まぁ、ブレイクだと思ってください。みなさん、コースを終わられた後、カヌーがあって良かったとおっしゃいますよ。それにカナダではカヌーはとてもトラディショナルなもので、外すわけにはいかなかったのです」
との答え。

「そーか。ブレイクか。確かに右膝も痛んできたことだし、それならそれで楽しもうではないか」
と、鵜呑みにしたのが大間違い。ブレイクどころか、一番辛いセクションとなることが、早くも3日目に判明することになる。

カヌーセクションは、2つのパートに別れていて、前半9日間はカヌーの漕ぎ方(パドルの使い方)のトレーニング、1日準備デーを挟んで、後半5日間は川下りの旅に出る。私はカヌーについては、その姿も定かに想像できないほどシロウトだったが、セクションが始まってわかったのは、カヌーというのはシンプルな小舟に膝をついて座って、片方だけ水かきの付いたパドルで漕ぐもので、よく見かける足が人魚のように小舟に変身していて、両端に水かきの付いたパドルで漕ぐヤツは「カヤック」だということ。我々は、基本的に長さ5m弱の2人乗りのカヌーを使う。

1日目。ゴールデンレトリバーに似た陽気なランディと、セントバーナードに似た味のあるジムの二人のおじさんが、「ロッキーマウンテンカヌースクール」からやってきて、カヌー、パドル、ライフジャケット、ウェットスーツなどをどんどん貸してくれ、キャンモアの近くの池に浮かべられて、前、後ろ、回転など基本的なパドルの使い方を教えられる。

川底の小石が1つ1つはっきり見えるほど、透き通った水が美しい。我々の他には釣り人が数人しかいないが、日本だったらファミリーでごった返すことだろう。ブイで陣地を作ってドッヂボールをするなど、風も流れもない水の上で、
「おっ! これは結構楽しいぞ」
と思う。

夕方、キャンモアとカルガリーの間にある“ゴースト”という場所のガソリンスタンドに併設されたオートキャンプ場に連れて行かれ(その名の通り、周りには何もない)、
「今日からここで9日間キャンプしなさいね」
と、テントと食料を渡される。キャンモアの方が川から近いのに、費用削減としか思えないが、なだらかでだだっ広い牧草地のずっと向こうに、小さくさざ波のように連なるロッキーには心を打たれる。夜はスクールの教室で、カヌーのビデオを見て勉強。以降、毎日2本は見せられ、
「これは洗脳に違いない」
と思う。

2日目。昨日と同じ池で練習をした後、フラットな流れのボウ川に移って、対岸に渡る練習(フェリーという)をした後、そのまま数km下る。この川はスキー雪崩講習の時に横切ったボウ・レイクから流れ出し、他の川と合流したり、湖を経たりして、遙か東のハドソン湾にそそぎ込んでいる。チャプチャプと、川面から岸の樅や白樺の林を眺めながらの川下りはそれは楽しく、ホビーとしてカヌーの購入を考えてしまうくらいだった。

3日目。初めて(生徒の中でも初めて)川に落ちて全てが暗転する。本日はボウ川の放流されているダムの下で(その貯水池はまだ凍っている!)フェリーの練習をしていたのだが、渦から速い流れに突っ込む角度が悪く、アッという間にバランスを崩して、川幅がひろーく、底の見えないふかーい川に投げ出されてしまった。

これが私にとってどれほどの恐怖だったかおわかりだろうか。忘れていたが、私はあまり泳ぎが得意ではないのだ。心臓が「ひゅっ!」と縮み上がり、胸が苦しくなるほど水は冷たい。ウェットスーツを着ていなければ心臓麻痺を起こしたのではと思ったほどだ。

どうしてもリカバーできず、溺れそうになり(実際はライフジャケットを着ているから沈まない)、カヌーとその日のパートナー、ヒデを裏切って、パドルだけは何とかはなさずに必死で岸まで泳ぐ。タイタニック号で溺れた人はどんなに恐ろしかったことだろうと、今日ほど想像したことはなかった。その瞬間はクリニックのために撮影していたランディのビデオにバッチリ収まっており、夜は何度も巻き戻されては笑い者になった。

4日目。朝から雨で、ますますマインドが冷え込む。更に流れの速い州立公園の中のカナナスキス川でフェリーの練習。ここは“カヌーメドゥー(牧場)”として、カヌーのトレーニングのための設備が整っていて、いろいろなタイプの急流を作るため、石などで手が加えられている。今日はあざとくジムと組んだため、少しだけ昨日の恐怖感を軽減させることが出来た。

5日目。同じく水に恐怖感を持つアンジェリクと組んだため、最後の最後に2度目のフォール。1度目の経験も手伝って、今度はカヌーの尾に取り付けたロープバックをつかんで、カヌーを岸に寄せることが出来た。それでも岸にはまだ雪が残っていて、水はやはり冷たい。夜は市民プールを借り切って、転落防止のパドルの使い方と、ひっくり返ったカヌーをレスキューする訓練。

6日目。池でソロ(一人乗り)の練習。2人乗りよりずっと不安定だが、誰にも頼ることが出来ないので、必死になって、やっと少し基本を理解する。むかし、円高円安がなかなか覚えられなかったように、流れの本質が理解できておらず、左右パドルを持ち替えたり、前後をチェンジしただけで頭が混乱して訳がわからなくなるのだ。

7日目。ボウ川の比較的流れの緩い場所でソロの練習。午前中は何とかフェリーをこなすが、午後の川下りは風に流されたりしてもたもたしていたら、アンジェリクとともにジムに棄権を申し渡されてしまった。また落ちるかも、という恐怖心が先に立ってしまい、水にパドルでアクションを起こすこと自体が恐怖になっている。

人の好みというのは実に面白い。同じ下手でもスキーなら、どんなにひどい転び方をしても「クソーッ!」とますます燃えるし、エクストリームスキーのビデオを見ても「いつかは!」と憧れを抱くのに、カヌーは一度の転落でマインドが萎縮し、エクストリームカヌーのビデオを見ると「クレイジー!」としか思えない。エクストリームスキーを「crazy」としか思えない人もいるわけで、これはもう理屈抜きで本能的なものなのだろうな。

8日目。カナナスキス川で、フェリー、サーフィン(川上に向かってまっすぐに波に乗り、バランスを取る練習)、川下り。気付けばもう取り返しが付かないほど、川に対して恐怖心を持っている。もともとスリルは好きな方なので、今日みたいに自信を持っている人と組むと楽しめるのだが。

9日目。トレーニング最終日。最後の最後に大失敗をやらかすが、これが功を奏した。今日はレスキューの訓練で、川を流されているランディーにロープバックをうまく投げる練習やわざとひっくり返して流したカヌーをピックアップする練習をする。2回目のピックアップを無事終わり、「ふー」と一息ついて後ろを振り返ると、助けたはずのカヌーは遙か彼方を流されている。

パートナーのレイと顔を見合わせ、慌ててピックアップに行くが、随分気が付かないでいたから、拾うのが大変だった。あまりにも間抜けすぎて、何度思い返しても笑ってしまい、おかげでなんだかすっきりして恐怖心が少し消えたような気がする。暖かくなってきたせいもあるのだろう。

午後はジムが組んでくれ、上流のwhiteriver(白波だった急流)を思いっきり楽しむことが出来た。それにしてもトップとドベ(もちろん私)の差がすごい。面白いもので、クライミングが得意なものはカヌーがダメで、カヌー、スキーが上手い者はクライミングが苦手、とはっきりわかれた。

それにしても、今日という日を指折り数えて待っていたが、とうとう長く精神的に辛かった9日間が終わった。この山岳コースが始まったとき、インストラクターの英語の説明が全然聞き取れず、「知識があるからいいものの、最初から何も知らなかったら大変だよなぁ、ワハハ!」とヒデも笑っていたが、今回はその“大変”だった。少しは予備知識を仕入れておくのだった。

ともあれ、あとは5日間の川下りを残すのみ。