大久保由美子のメール新聞〜カナダからの手紙 vol.9

前号では、やたらに”恐”とか”怖”とかいう字が飛び交いまして、いやお恥ずかしい限りでしたが、もともと喉元すぎれば熱さ忘るるタチなので、数日落ちなかっただけでリアルな恐怖感は思い出せなくなった。この性質の良い面は立ち直りが早いことだが、悪い面として同じ失敗を繰り返すというのがある。できれば、このまま思い出したくない。

5月2日の準備デーにウェットスーツやヘルメットの貸し出しがなかったので、そんなに難しい川じゃなかろうとふんだが、後で単にもう1つのグループに貸し出さなければならなかったためと判明する。

さて、初めてのカヌー川下りの旅は、ロッキーの西側に緩やかな山稜と深い森林が拡がるクートネイ国立公園のクートネイ川。全行程140km、標高差約400mである。今回、友人のお葬式とかで24歳のクリスティーが欠席なのだが、28、29、30歳の残りの女性だけだといやに静かだ。この3人は、18歳の男の子に”3ancient”と言われ、顔では笑いながらも、内心ケリを入れてやろうかと思ったが、やはりハジケているのは20代前半までと悟る。

5月3日、車をその日の終了点まで移動してから(キャンプ地が終了点から少し離れているため)、1:00にクートネイ川の支流、バーミリオン川を出発。「水面から見る景色は何もかもが新鮮」などというマスコミのうたい文句にかすかな憧れを抱いていたのだが、実際は車の運転と同じで、そうそうよそ見していられない。流れの緩やかなところに来ても、気を抜く間もなく、すぐ前方に白波立った急流が出てくるからだ。そこには大きな石が水面から出ていたりして「ハッ!ハッ!」とよけねばならない。本日の核心、ヘクターゴルジュでは一瞬ひっくり返りそうになって焦った。

それでも私にとっては、次々に現れる雪山の地形を
「このクーロワール(岩尾根の間の雪の詰まった溝)は登れそう」
とか、
「あのリッジ(尾根)はどうだろう」
などと、いろいろな角度から観察したり、脇から小川が流れ込んでいるのや、川原や川岸の様子を眺めたり、パートナーとおしゃべりしたりするのは楽しい。こう書くと、一見優雅そうに見えるが、不器用な私は漕ぐのも合わせてどれか一つしかできないので、非常に忙しい。

時々岸に上がって休憩したりするうちに5時間が過ぎ、今日のお勤めが終わった。上半身が、(胸も合わせて)極端に貧弱な私の腕はもうパンパン。
「これも必ずやクライミングに役立つことだろう」
と、自分を慰める。今日のお宿は終了点から車で5分の所にあるキャンプ場。やはり熊対策はしっかりしていて、食べ物はおろか、歯磨き粉など匂いの出るものは全て頑丈な倉庫へしまうのであった。

5月4日、昨日の終了点に戻り、舟を出す。なんだか「カヌー」というおしゃれな響きより、私には「フネ」の方が相応しいような気がする。漕いでいる時も、あまりの重労働につい
「エンヤットットッ」
と口ずさんでしまう。

本日は昨日ほどの難関はなかったが、やはり遠くに白いものが見えてくると、その度に肩と歯に「グッ」、「ギッ」と力が入ってしまう。ただ流れているように見える川も、実際その上を通ると、ほんのちょっと狭くなったり、川底の様子が変わったり、曲がったりするだけで急に流れが速くなったり、うねったりして目まぐるしく状況が変化している。

本日は、午前中に車を1台、本当の終了点まで移動したので2:00出発となり、労働時間は4時間。適当な広い川原に舟を上げて、川岸の調理場から100m以上離れた所にテントを張る。もちろん、残飯目当てにやってくるかもしれぬ熊対策。川遊びの目玉は、なんといってもたき火。薪になる流木には事欠かず、火事になる心配もない。揺らめく炎を眺めて、1日の緊張感をほぐす。

5月5日、ここでちょっとカヌーのいでたちをご紹介しましょう。服の上に雨合羽を着込み、足には靴下の上にドライソックス(ただの黒いゴムの靴下)、その上にカヌーブーツは持っていないので、渓流シューズ。手には台所用のゴム手袋。そしてその上に大事なライフジャケット。

こんなあり合わせの格好でも、インストラクターに2つも褒めちぎられる。まず、渓流シューズ。こちらには靴底がフェルト地のものがないらしく、
「これはスゴイ!」
ということになった。なんと、沢登りというスポーツはみんな聞いたことがないという。それとは逆に、日本では見たことのない”キャニオニアリング”という川を泳いだり、飛び降りたりして下るスポーツならあるとのこと。まったく「所変われば」なんとやらだ。

もう一つは「ナイスピンク!」と絶賛されたゴム手袋。こちらのゴム手はみんなレモンイエローで、ピンクが珍しいらしい。私にはイエローの方がよっぽどかわいく見えるが、人間目新しいものはよく見えるのだなぁ。

食料は防水のタルに、個人装備はゴミ袋でしっかりパッキングして、水に浮かべてもカヌーが水平になるように真ん中に積んで、いざ出発。午前中は近くにすばらしい渓谷があるということで、3km程度ハイキングして見に行く。氷河から流れ出る川は、氷河が岩盤から削り取った多くの固形物を含んでいるため浸食力が強く、ロッキーではあちこちにそんな水の力が作り出した滝や渓谷があるのだ。久しぶりの山歩きに心底ホッとする。やはり、水より土の方が性にあっているようだ。

午後は4時間の川下りだったが、前を走っていたアンジェリクとレイのカヌーが、この旅初のフォールをやらかし、
「やっぱりウェットスーツいるじゃんかよぉ」
と、またまたマインドが萎縮する。本日はうまいパートナーのおかげでセーフ。時速はだいたい5〜6km。筋肉のキの字もなかった二の腕に、いつのまにか力コブが出るようになっていて、ひそかにヨロコブ。

5月6日、残すところあと2日。せっかく上高地を大きくしたような環境の中、いつ自分も転落するかと思うとゆっくり楽しめない。
「雪山と違って、落ちたって死なないのだ」
と、何度自分に言い聞かせてもやっぱり恐いものは恐い。思えば、幼少の頃、飛行機、エスカレーター、吊り橋と、不安定なものはみんな恐ろしかった。道具を使うスポーツも苦手だった。山が好きになったのは、きっと2本足が直に地についているからだろう。

今日はグループで一番ハンサムなレイ(ただし24歳)と組むことになるが、申し出るとき、
「ユミ、今日のパートナーはオレだ。なぜならあと残っているのはユミがすでに組んだことのある人だけだからだ」
と、いちいち言い訳する。よっぽど一番下手な私と組むのが嫌なのだろうかとムッとしたが、彼の恐れはすぐ現実となる。

パリサー川との合流地点に激しいうねりが出来ており、必死にひたすら漕いでいた私は、大きなホールの所でバランスを崩し、舟もろとも転落。パドルもカヌーもハンサム君もすべて見捨て、水を飲みながらも何とか岸に泳ぎ着く。それでも最初の時と違って水が冷たくなく、天気も良かったので、それほどの恐怖感は残らなかった。が、レイにはのちのちまで
「あの時のユミは素早かった」
と、いじめられる。

これを皮切りに、本日がカヌーセクションのハイライトとなる。まるで、遊園地のアトラクションに乗っているのではないかと思うほどドラマチックだった。メスの若いムースが川に降りてきて、我々が通り過ぎるのをジッと見ていたり、ジブラルタルロックという奇石のある神秘的な場所が出てきたり、ついに本物のクマが水を飲みに現れたり(!)。やっぱり、ホントにいるんですねー。

10時出発17時到着で、一番長い1日だった。最後の夜は、インストラクターと一人一人懇談し、私は「もっとパワーと時間が必要」とアドバイスを受けたが、今後カヌーを漕ぐ機会があるかどうか疑わしい。

5月7日、朝起きたら突風が吹いていた。しかも向かい風。最終日は1.5時間の予定が4時間近くかかり、身も心もぐったりしたが、これでようやくカヌーから解放されるのだ。ごほうびに「LUSSIER RIVER HOT SPRINGS」という、脱衣所も何もない穴場の露天風呂に連れていってもらい、水着は着なければならないものの、温水プールではなく、本物の温泉にカナダで巡り会うことが出来た。終わりよければすべてよし。