大久保由美子のメール新聞〜中国からの手紙 vol.2

「カシュガル編」

ニーハオ!8月29日にちょボロな中国国際航空で日本を発った私は、手違いで北京、ウルムチのホテルの予約が入っていないわ、白タクにはボラれる、国内線のチェックインカウンターで現地オヤジに大量に横入りされたりしながらも、なんとか31日夜、海から一番遠いであろう町、カシュガルにたどりつき、翌日、目指すムスターグアタ(7546m)のBC(ベースキャンプ)に入ることができました。

カシュガルは標高1500m、BCは4300mなのでちょっとムボーなのですが、事情があって8月20日に先発したパートナー、マミ(私のようなにわか山屋と違って、上智大学山岳部出身の正統派クライマー)をこれ以上1人にさせるわけにはいかないと急いだのです。前もって富士山に8月24−26日の間泊まって高所に身体を慣れさせておいたのが幸いしてか、なんとかこの時は高山病にならずに済みました。

カシュガルからの移動手段は4WD車(トヨタ!)。飛ばして約5時間、スバシという、放牧の民ウイグル族の村の先、もうこれ以上川の増水で車が動かないというところまで入り、そこから2時間歩いてのBC入りです。ここはマーモットのサンクチュアリのようで、いたるところでお尻の大きいネコとアライグマの合いの子のような彼らが、好奇心一杯の目でこちらを見ています。

9月1日、無事マミとBCで再開したわけですが、後に大きな力の差となって現れたので、マミのそれまでの行動を書いておきます。

8月22日   カシュガル着
8月23日   買いだし
8月24日   カシュガル−スバシ(3600m)
8月25・26日 スバシに泊まって近隣の丘で高所順応活動
8月27日   スバシ−BC
8月28日   BC−C1(キャンプ1:5300m)設営−BC
8月29日   BCレスト
8月30日   BC−C2(6000m)荷上げ−C1泊
8月31日   C1レスト
9月 1日   C1−C2荷上げ−BC

たった一人でこれだけ行動できるのですからスゴイ女性です。頭が下がります。私の場合、日程の都合で登頂はダメ元でも、クレバス帯でロープを結び合うなどで、少しでも、ずっと激しいトレーニングをしてきた彼女のサポートになれば、と思っていたのですが、結局クレバスの状態は良く、ロープを結び合う必要がなかったので、最後まで彼女には迷惑をかけっぱなしでした。

9月2日、マミはBCで休養し、私はロバ2頭に登山用具をかついでもらってC1まで高所順応に出かけました。4900m位まで雪がないので、ロバが登ることができるのです。言い忘れましたが、ロバは車から荷を降ろしたところからBCまでの荷物の運搬にも活躍してくれました。やさしげな目でとってもかわいいのですが、鳴くとこれが断末魔の叫びのようでちょっとビックリしてしまいます。

ロバを引いてくれたのはキルギス人の兄弟です。彼らは本当に質素な身なりなのに、雪のついている4900mから5200mのC1まで44kgもある私の荷物を担いでくれました。こちらは雪用のブーツに履き替えているというのに恥ずかしい限りです。C1に自分のテントを張って、さっさとBCに下りました。

7−8月のムスターグアタは世界各国の登山隊で賑わうので、山小屋が開かれウイグル料理が食べられます。私たちが行ったときはシーズンオフで、他に英国隊と別の日本隊しか残っておらず、その彼らも途中で帰ってしまったのですが、何とか頼み込んで(お金で交渉して)コックに残ってもらいました。一応、キッチンテントと食材は持ってきていますが、疲れ果ててBCに戻ったとき、自分で料理をするのは大変だと思ったからです。

私たちの他にはスピカ君という18歳の年若いリエゾンオフィサーが一緒です。中国で登山するときは、リエゾンオフィサーというお目付役を一人つけるのが決まりですが、ただ英語がしゃべれるということでカシュガル登山協会から派遣されたウイグルボーイは、経験もなく、他の隊もおらず、私たちが上に行ってしまったときは本当に気の毒でした。でも、彼なりに一生懸命働いてくれました。

9月3日、マミと一緒にC1に上がりました。少しでもマミの高所順応に追いつかなければならないので、私は5600mまで自分の食料と燃料をデポジットしに行きました。さすがに調子悪く、一歩毎に6呼吸も休んでしまいます。

9月4日、晴れていますが、すごい地吹雪です。昨日デポジットした荷物を6000mのC2に持ち上げます。順応のできているマミはC2に泊まりますが、私はまたC1に戻ります。オリオン座や北斗七星がとてもきれいです。大きな流れ星も見ることができます。

9月5日、体の状態は、熱は常に37度以上、脈も安静時で120以上です。平地だったら大変なことですが、私はいつも高所ではこんな感じなので気にしません。今日はC2入りです。さらに6300m地点まで登って順応活動をします。マミはその更に上までテントを持ち上げて泊まります。なかなか彼女に追いつけません。お互い周りには誰もいません。この日の夜のブリザードはことさらひどく、摩擦のせいか、テントが暗闇の中でビカビカ光り、雷かと思ってビクビクの一夜でした。

9月6日、初めて高所で頭痛に見舞われました。それでもご飯は力の源と、日本から持ってきた乾燥米をお湯で戻して、ノリやふりかけ、梅干しでしっかり食べます。C3の食料と燃料を持って上を目指します。6400m地点でマミがテントを張っていました。一緒に荷上げしますが、私は6700m地点で突然ダウンし、これ以上1秒たりとも高いところに居たくない気がしたので、荷上げしたものを雪に埋めることもできず、登ってきたルートに赤旗(悪天のときの目印)を補強しながら、とっととBCまで下りてしまいました。マミはC3(6800m)までテントを持っていってくれました。

高山病で山を登っていると、近い記憶がとりとめもなく脳からこぼれ続けるのですが(意味もなく、最近見たドラマとか宇多田ヒカルの曲とか)、時折悲しい記憶が蘇ったりします。それでも、その記憶は自分の身体に留まらず、心の涙は何の躊躇もなく白い山肌に流れ落ち、染み込んでいきます。山は本当に寛容です。

9月7日と8日は、BCでゆっくり休養です。来た当初はBCでもつらい夜でしたが、今はまさに天国です。空気が濃い! ご飯がうまい!テントが広い!! 洗濯をしたり、マミとおしゃべりしたり、英国隊の撤収に来たロバにのって遊んだり、地元の人からヤクの骨の首飾りを買ったりして幸せな2日間です。

9月9日、いよいよ2人だけのアタックの始まりです。朝起きると、BCには雪が積もっていて少しくじけます。静かな山をと、わざとシーズンオフを狙いましたが、本当にみんな居なくなってしまうと淋しいものです。マミと、雪に新しい足跡を付けながらC1入り。この夜、雷到来! テント内の静電気がすごく、かなり恐ろしい夜でした。

9月10日、風もなくドピーカン。雪のしまっているうちにと早立ちします。C1−C2間はセラック(ビルのような氷柱)の崩壊と、ヒドンクレバスがすこーし危険な状態です。この日かわいい事件発生。何やら雪面で四つ足の動物が遊んだ形跡があるのです。5600m位まで赤旗に沿って歩いたりしていて、さっぱり何者か想像つきません。"ナゴミ"くんとよんで大はしゃぎでした。ブリザードがなかったせいか、午後はホワイトアウト(真っ白でなにも見えない)になりましたが、赤旗があるので大丈夫です。C2入り。

9月11日、帰り際、英国隊が「ワカンよりスノーシューがいいよ」と、彼らのものを貸してくれて大助かり。マミと200歩ずつ交替でラッセルします。といっても、足首ぐらいでそんなに深刻なラッセルではありません。シーズンオンに比べて9月が有利なのは、すでに秋になり、積雪が少ないことです。それでも順応が十分でない私は、途中眠くなるし(高山病の一種)、天気は悪くなるしで、かなりくじけそうでした。6800mのC3入りです。夜は、遙か眼下にカラコルムハイウェイの車の明かりを、時々ポツネンと眺めることができます。

9月12日、C3からアタック開始です。9時出発。風もなく雲一つないお天気で、まさに登頂日和です。ここにきて、3000−4000mでしっかり順応していたマミと大きな差が出ます。半分くらい登ったところで、どうにもマミとペースが合わなくなりました。優しい彼女は、「私がなるべくラッセルするから」と先行していきました。何のサポートにもならず、ふがいなさで一杯になりながらも、ありがたくゆっくり彼女の足跡を追います。

何度も"あそこが頂上か"と思わせる平地に裏切られながら、いよいよ頂上にあるという石ころの盛り上がりらしきものがいくつも見えてきました。広い頂上で、どの盛り上がりにいったらよいか迷います。遮るものがないため、強い風に晒されて雪が飛ばされているのです。

そのうちの一番高い石ころの盛り上がりにとっくに着いているマミが、その向こうをのぞき込んでいます。私は、かなり意識が朦朧としながらも、5時55分、ようやくそこに到着しました。その向こうは断崖絶壁で、BC側の茶色い山々の風景とはうって変わって、真っ白い急峻なカラコルムの山々がいきなり目に飛び込んできました。

正直言って、日数のない私が登頂できるとは思ってもみませんでした。全てマミのおかげです。彼女は一人でも登れたでしょうが、もし私が一人なら7000数百mで引き返していたことでしょう。写真を撮り合いながら20分だけ滞在し、一目散にC3に向かいますが、疲れて思うように素早く行動できません。3時間近くもかけてゆっくり下りて、C3泊。

翌13日、疲れた身体には地獄のような荷下げをしながら、ほとんど10時間かけて三日月のきれいなBCまで下りました。

14日は天国のような大草原の風景を見ながら、スバシまでブラブラとロバと一緒に歩き、ウイグルの民にヤクミルクとパンを土の家でふるまわれ、幸せな気持ちでカシュガルに戻りました。余った二日間を、ほとんど酒池肉林で過ごしたことは言うまでもありません。

ところで、これは四川省成都で書いています。マミは仕事があるので、日本へ向かったのですが、私はムスターグアタの高所順応を生かしてチベット自治区のチョオユー(8201m)を目指します。16日にカシュガルからウルムチへ、17日には北京へ行くマミと別れ、ウルムチから成都にやってきました。明日(18日)、飛行機でラサへ向かいます。10月下旬には、またチョオユー登山の模様をご報告できると思います。では再見!