大久保由美子のメール新聞〜中国からの手紙 vol.3

「カシュガル番外編」

「地球の歩き方」を片手に世界中に飛び散り、その国の懐に深く入り込んでいる日本の若者たちに比べ、目的が登山となると、せっかくの異郷の地も、その文化にふれる機会も少なく、ただ通り過ぎるだけとなりがちである。しかし、そんな中でも新鮮な驚きや発見は、もちろんある。

カシュガルは、3本のフライトで3日かけなければ辿り着けない、中国の西端、ほとんどキルギスタンやパキスタンとの国境近くのイスラムの町である。当然、自分たちはモスリムの世界に紛れ込んだ二人の異邦人であるのだろうとイメージしていたのだが、知らなかった・・・。日本人はカシュガルの大のお得意先だったのだ。

私は海外登山の時は、異文化のストレスを受けないようにし、登山に意識を集中させるため(それだけ高所のストレスは多大なのです)、その土地で一番いいホテルに泊まるようにしている(それでもツイン560元=約7千円強、部屋から国際電話はできない)。そのため、どうしても遭遇してしまうのだろう、なんとチェックインしていると後ろから聞こえてくるのは、元気なおじちゃん、おばちゃん達の関西弁だ。それどころか、ホテルの宿帳や町の看板には日本語訳まで。コイツァ驚いた!

今回の登山をアレンジしてくれたカシュガル登山協会のキョウムさんは、登山終了後、残った2日間を、これでもかというほどのサービスで、我々二人をいろいろなところに(タダで!)案内してくれたのだが(彼としては、また違う山に来て欲しい、他の登山隊を紹介して欲しいのだ)、絨毯屋やおみやげ物屋はもちろんのこと、現地バザールでも日本人中高年団体客パワー炸裂。写真クラブの人たちなのか、全員が高級カメラを首からぶら下げたおばちゃん達が、「写真も撮らないで、これ買っちゃたわョー」
などとやっている。店員はみんな流暢な日本語でしゃっべりかけてくるし、日本人パワー恐るべし、だ。

それでもキョウムさんのおかげで"食"には大いに恵まれた。彼の行きつけの店であるうどん屋では、こってりスープに打ちたてのうどん、トッピングは焼き羊の角切りをたっぷりの逸品と、羊肉のカバブーに狂喜。味付けは、少量の塩と香辛料だけで意外と薄味なのだが、新鮮なためか、肉の味だけで充分おいしい。

翌日のブランチで行ったチキン屋では、絞めたてであろうと思わせる地鶏を丸ゴト焼いたものが食べやすいように叩き割られて骨ごとでてきた。今まで食べた鶏の中で一番豊かな味であった。わがままを言って、店員に他の店で買ってきてもらったフルーツ(メロン、イチジク)とアイスクリームは、ンもう、机の下で足をバタバタさせてしまうほど。ちなみに、3人でたらふく食べて60元(約800円)。たとえ生活レベルは日本より低くても、食はなんて豊かなんだろう、逆に日本は何でも手に入るのに、安く手に入る食材のレベルはなんて低いのだろうと、タメ息が出た。

夜には、キョウムさんがカシュガルで一番というレストランを予約してくれ、食べきれないほどの中華料理と中国ビール、アルコール度46°と表記されている透明な酒で打ち上げをした。ここはディナーショー付きで、平日だというのに広いホールは客で満杯。イスラムらしい、甲高い声の男性の歌でショーが始まり、
「おっ! いいではないか」
と感動したのもつかの間、美人女性ヴォーカルが出てきてからは、ほとんど演歌調。キョウムさんの差し金で、日本人観光客もいる中こっぱずかしかったが、酒の勢いも手伝って2回ステージにマミと花束を渡しに行ったら、なんとサービスに日本の歌謡曲が・・・。

「タイタニック」のテーマ曲でのミュージカルもあり、聞けば、今回リエゾンオフィサーを務めてくれたスピカら若者達は10回、中年のキョウムさんでも7回は「タイタニック」を見たそうで、アメリカ文化の世界同一化の波はここまで及んでいるのかと驚嘆。

支払いはキョウムさんがすると言ってくれたが、おみやげにウィグル帽子までもらって上機嫌の我々は、ここは2人で奢ることにしたのだが、4人で文字通りの酒池肉林で320元(4千円前後)。ネパールでもパキスタンでもそうだが、強い円のおかげで第三世界では我々のようなフツーの者でも豪遊できるのだ。

その後、スピカおススメのディスコへ行ったのだが、おそらくこのカシュガルの片田舎のディスコとニューヨークのクラブでは、かかっている曲はそうは変わらないであろうと思われた。無表情でクールな中国人DJ二人もなかなかセンスいい。

とはいえここは中国、ウィグル人の"Freedom"の無さには同情せずにはいられなかった。だからこそ、若者のアメリカ文化への憧れは、より募るのだろうが。カシュガル−ウルムチ間のフライトには漢人しか乗っていないことからもわかるように、国内旅行は普通の生活レベルではできないし、たとえ資金があったとしても、海外へは自由に行くことができないそうだ。

今回の登山中、18歳のスピカはあまりの孤独に耐えられず、途中学校の友人ユスフ(20歳)をBCに連れてきた。彼らは経験がないわりには一生懸命サービスに励んでくれたが、登山終了間際になると、
「僕のサービスに満足してくれた? それならお金ちょーだい」
となる。

ユスフなど、いわれもないのに、BCから高度差千mもあるC1からの荷下げを手伝ってくれたのだが、
「兄は中国政府に反対するビラ配りをしたために、もう8年も刑務所に入れられている」
などのつらい身の上話が始まり、しまいには、
「日本で勉強したい。パスポートを取るための身元保証人になってくれ」
と言い出す始末。

ネパールでも事情は同じで、遠征に貢献したシェルパの身元保証人になって、日本で逃げられたというのはよくある話(もちろんまじめに山小屋などで修行するシェルパもいる)。
「きたきた」
と、聞く耳持たなかったが、彼らにとって日本人や西洋人は、不自由な生活を脱出する大きなチャンスなのだ。現に、日本女性に気に入られて結婚にこぎ着け、大阪でネパール料理屋を開いているシェルパを私は知っている。

スピカも最初から
「日本人はポライトで大好きだ」
と何度もアピールし、一回り以上年の離れたおばさんに本気で結婚を口にする。もちろん、日本で勉強して金持ちになりたいという理由は隠さず、ちっとも悪びれない。

そんなことを言われても、臨時ボーナスを要求されても、あまり厭な気持ちにならないのは、彼らの目が輝いているからだ。Bigになって必ず金持ちになるという夢に燃えて勉強に励む彼らは、当然英語はペラペラ。中年のキョウムさんの夢だって、2人の子供を持ちながらも、どこまでも続く。そのための努力は惜しまない。

中国に締め付けられても、ちっとも絶望しない彼ら。海外旅行も自由にできて、物質欲も簡単に充たせても、自分が何をしたいのかわからないという日本の若者と、一体どっちが幸せなのだろう?

日本では、欲望は軽蔑される。私が、
「お金自体が欲しいとは思わない。ただ好きな登山をするためには、お金が必要だ」
と言うと、キレイ事を、とでもいうように、
「僕はマネー自体が欲しいね」
とスピカに一笑に付された。

ここでは欲望は、向上心につながる、正しく健全なものなのだ。「欲せざれば、失うものなし」という私の哲学など彼らから見れば、裕福な国にすむものの戯言でしかない。

彼らはみんな、インターネットのEメールアドレスを持っている。自宅にパソコンを持つことはできないが、インターネットカフェが盛んだ。どんなイデオロギーの束縛に遭おうとも、情報だけはいくらでも手に入る世の中、彼らが10年後、どのように育っているか、今から非常に楽しみである。