心理学の分野において、人が没入しているときの主観的な状態に焦点を当てたのが、アメリカの心理学者である、マズローのピーク体験(peak
experience)の概念や、チクセントミハイのフロー(flow)の概念である。
ピーク体験の概念は、恋愛、芸術鑑賞、創造活動などによる至福の瞬間、恍惚の瞬間をもつ調査対象者から、そのときの感覚について得られた言及をもとに導かれたもので、様々な特徴をもつB認識(Bは「Being」:生命{ありのままであること}の略)をともない、自己に立ち返ったとき、おのずと成長へと導かれる(「Becoming」:生成)とされている(Maslow,1965)。
一方、フローの概念は、内発的に動機づけられた活動を行っている人々(ロック・クライマー、チェス・プレイヤー、作曲家、ダンサー、バスケットボール選手、外科医など)に、活動に従事する理由をたずねることによって、うまくいっているときの経験の特徴を抽出したものである。
フローは、「一つの活動に深く没入しているので他の何ものも問題とならなくなる状態、その経験それ自体が非常に楽しいので、純粋にそれをすることのために多くの時間や労力を費やすような状態」(Csikszentmihaly,1990,邦訳p.5)と定義されている。
この“フロー”という言葉は、人々が最高の状態の時どのように感じたかを表現する際、たびたび「私は流れ(flow)に運ばれたのです」や「流れている(floating)ような感じだった」と述べたことに起因する(Csikszentmihalyi,1990,邦訳p.51)。
以下、抽出された8つの特徴を解説する。
【フローの条件】
@明確な目標とフィードバック
一連の明瞭な目標に取り組み、活動の進展について連続的にフィードバックを受け取ることができる。そのフィードバックにもとづいて対応を調整することで、ちょうど手頃な挑戦、自分の能力を十二分に発揮させる挑戦に取り組むことができる。
A機会と能力のマッチング感
現在の能力を伸長させる(現在の能力よりも高すぎも低すぎもしない)と知覚された挑戦、あるいは行為の機会の存在。自分の能力に適合した水準で挑戦しているという感覚。
このような条件のもとで、経験はある瞬間から次の瞬間へと切れ目なく次々と広がりをみせ、人は次のような特徴をもつ主観的な状態へと入る。
【主観的な状態】
B注意の集中
その瞬間にやっていることへの強い、焦点の絞られた集中。現在行われている環境との相互作用に注意のすべてが向けられている。
C行為の統制感覚
自分の行為を統制できるという感覚。あるいは、統御の可能性を感じている。逆に言えば、日常生活で典型的に現れる、「コントロールできない」という懸念が欠如している。
D行為と意識の融合
その結果、現在行っている行為から切り離された自分自身を意識することがなくなる。つまり、自身の行為を意識してはいるが、そういう意識そのものをさらに意識するような二重の視点が解消されている。また、一見苦もなく行われているようにみえる動作の感覚。フローの最も普遍的で明瞭な特徴。行為と感知の融合は、その場の環境との相互作用に直接関わりのない対象物を感知する注意余剰がないことを意味している。その対象物には自己や時間も該当する。
E内省的自意識の喪失
社会的行為者しての自意識が喪失している。周囲の世界から自己を切り離す自意識が失われると、しばしば環境と融合する感覚をともなう。なお、活動中は自己についての意識は消失するが、これに反してフロー体験の後では、最適な水準の挑戦が既存の能力を伸ばす(Vygotsky,
1978)ため、自己感覚はより強く現れる。
F時間感覚の変容
行為の最中は、時間の流れがゆっくり感じられたり、時間の概念がなくなったりするが、行為の後にふりかえってみると、実際より時間が速く過ぎたように感じられる。
G自己目的的(Autotelic)経験
経験それ自体から心理的な報酬が得られていると認識された状態であり、成功の結果得られる報酬を意識していない。そのため、活動の最終的目標がしばしばその活動を行うことの単なる理由づけとなる。
総じて言うと、フロー体験とは、目標を志向し、自分が適切にふるまっているかどうかについての明確な手がかりを与えてくれる行為システムの中で、現在行っていることに自分の能力が適合しているときに生じる感覚である。そのとき人は、自分の行為をコントロールできていると感じる。注意が強く集中しているので、その行為と無関係のことを考えたり、あれこれ悩むことに注意を割かれることもない。そのため、自意識は消え、時間の感覚はゆがめられる。このような経験を産む活動は非常に楽しいので、人々はそこから得られる利益についてほとんど考えることなく、それ自体のためにその活動を自ら進んで行うようになるというのである。
本調査は、これらフローの8つの特徴と、ピーク体験のB認識の一部を援用して行うこととする。 |